未 徹 在 みてつざい「未徹在」とは、未だ徹せず、未だに到達できない、まだまだ不十分ということです。
これは一遍上人が若い頃に興国寺の法灯国師に参禅した時、南無阿弥陀仏という念仏についての問答の中で法灯国師から言われた言葉で
「未徹在」つまり「君はまだまだだよ」とたしなめられというものです。
そこで、一遍上人はさらに修行を積んで再び法灯国師の元を訪れ、もう一度自分の見解を申し上げたのですが、それでも国師は「まだまだ」と云われます。
そして
「仏の心と一体になろうとして、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と云っている間はまだまだ。そんな捕われの心から離れ流れる風の音、虫の音、そういう自然のものと一体化してこそ仏の心に通ずるものなのだよ。」
と教えられます。
その教えを受けて、一遍上人はさらに修行に励んだということです。
このように、人生には完成はなく、いつまで経っても到達できないけれども
自分が「未徹在」、まだまだであるということに気付き、迷い、周りに助けられて人生を深めていくということのく大切さ、「未徹在」であるがゆえにまた頑張れるということの大切さを教えてくれる禅語です。
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