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桃李不言、下自成蹊
桃李不言、下自成蹊
桃李言わざれども、下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれども、下おのずからみちをなす)

桃やすももの木は、春には美しい花を咲かせ、夏には美味しい実をつけるので
何も言わなくてもそれらの木の下には、人が自然と集まって来て道ができるものだよ。
ということで、
それと同じように、黙っていても徳のある人の周りには人々が慕い寄ってくるのだよ。
という漢の時代の名将と言われた「李広」という人を称えた言葉です。

そういう「徳のある人物に巡り会う」ことができるだけでも、幸せなことですよね。

                     ガシラ


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【2009/06/24 23:14 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
善悪は時なり
善悪は時なり

人は誰でも「自分は正しい」と思って生きています。
時には、そうではないことに気付かされて考え方を変えることもありますが、たいていは一度「自分は正しい」と思い込んだら、それを押し通さなければ気がすまないもののようです。
そしてとことん、相手を批判してしまう…。
政治などの報道番組を見聞きすると、それがよく表れていますね。

でも、そういったことは決して他人事ではなく、私たちはみんなそういうところが大なり小なりありませんか?
言葉に出さなくとも、心の中で批判したり、人の注意を素直に受け入れられなかったり、それっておかしいんじゃないの?と思ったり…。

仏の教えでは、善いとか悪いとかの考えほど頼りなくいい加減なものはないといいます。
立場が変われば、生活環境が変われば、時が変われば、正しいと思っていたことが逆になることがたくさんあるのだよ。だからそんなことにこだわってはいけない。自分の考えだけに縛られるのは愚かなことなのだよと教えてくれる道元の言葉です。

                      紫陽花


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【2009/06/19 19:15 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
節義を標する者は、必ず節義を以って謗りを受く
節義を標する者は、必ず節義を以って謗りを受く
せつぎをひょうするものは、かならずせつぎをもってそしりをうく

「道学を榜(ぼう)する者は、常に道学によってとがめを招く」と続く菜根譚の中の言葉です。

節義とは節操と道義、人としての正しい道を踏み行うこと。
そいうことを大きく掲げ、主義主張を唱えている人が一旦何かにつまずくと、その節義の名のもとで非難され、「道徳、道徳」と言っている人が何かつまらない過ちを犯した時には「道徳を唱えているものがなんだ!」と人から悪く言われるものだよ、ということです。

立派な主義や道徳をふりかざす人は、よほどの覚悟を持ってしなくてはなないという戒めの言葉でしょう。
大きくふりかざさなくても、良いと思ったことは黙って人に気付かれないところでそっとするほうがずっと尊いことのような気がします。

                  エゾリス

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【2008/10/06 21:19 】 | 菜根譚 | コメント(0) | トラックバック(0) |
任運騰騰
任運騰騰 (にんぬんとうとう)

任運とは運命に任せること。
騰騰とはくよくよせず意気高らかに生きること。
まだ起こりもしない先のことをあれこれ思い悩むより、「今を大事に生きなさい」という教えです。
私達はとかくつまらないことに心を捕らわれがちになり、気にして心配して悩んで…そんなことの繰り返し。
「なるようになるさ~♪」と運を天にまかせて大手を振って、いつもより少し大股で青空の下歩いてみましょう。きっと心も青空、元気が出ますよ。

鮎塩焼き

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【2008/09/26 19:21 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
未徹在
未 徹 在 みてつざい

「未徹在」とは、未だ徹せず、未だに到達できない、まだまだ不十分ということです。
これは一遍上人が若い頃に興国寺の法灯国師に参禅した時、南無阿弥陀仏という念仏についての問答の中で法灯国師から言われた言葉で
「未徹在」つまり「君はまだまだだよ」とたしなめられというものです。
そこで、一遍上人はさらに修行を積んで再び法灯国師の元を訪れ、もう一度自分の見解を申し上げたのですが、それでも国師は「まだまだ」と云われます。
そして
「仏の心と一体になろうとして、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と云っている間はまだまだ。そんな捕われの心から離れ流れる風の音、虫の音、そういう自然のものと一体化してこそ仏の心に通ずるものなのだよ。」
と教えられます。
その教えを受けて、一遍上人はさらに修行に励んだということです。

このように、人生には完成はなく、いつまで経っても到達できないけれども
自分が「未徹在」、まだまだであるということに気付き、迷い、周りに助けられて人生を深めていくということのく大切さ、「未徹在」であるがゆえにまた頑張れるということの大切さを教えてくれる禅語です。

                     さざえ

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【2008/09/12 23:33 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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