好語説き尽すべからず
好語説き尽すべからず
こうごときつくすべからず

「好語説き尽くさば必ずこれを易んず」と続きます。
どんなによい言葉であっても、尊い言葉であっても、細かく説明し過ぎてはいけないよ。
好いと思って説き聞かせても、それが過ぎると聞いている方は安易に受け止めて
言葉の本質がわからず、よさが半減してしまうという意味です。
尊い言葉であっても、軽んじられることもあるでしょう。

好語は、その言葉を受け止めた人が自分で考え、噛みしめ実践してこそ、その人の身となり肉となって好語が好語たりえるのだと教えている禅語です。

                花菖蒲2
 


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【2008/06/11 20:13 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
一以之貫
一以之貫 (いちをもってこれをつらぬく)

自分の道を決めたら、一貫して変わらずその道をとことん追及するといった意味です。

私たちは自分で「この道を」と決めても、なかなかその道を進みつづけることができません。
とかくいろいろなことに目移りしたり、迷いが生じたりして道をはずす弱さがあるものですね。
しかし、それではいつまでたっても物事の本質はつかめません。
一つのことに固執しすぎて、融通のきかないことでは困りますが、
柔軟な心と謙虚な態度で必要に応じて変化を受け入れながら、尚且つ一つの道を邁進し続けることの大切さを教えてくれる孔子の言葉です。

                  sumire


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【2008/05/10 01:40 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
忘筌
忘 筌 (ぼうせん)

「伝灯録」の中に出てくる荘子のことばです。

筌とは、「ふせご」という竹編みで作られた漁具のことで、魚などを捕るのに必要な道具です。
しかし魚を捕らえてしまえば必要ない物ですね。
魚を捕るという目的を達成してしまったら、そのような道具はしまって忘れておけばよいというのです。

つまり、目的を達成したならそれまでの手段のことは忘れてしまいなさいということを教える禅語で、
深く掘り下げれば、悟りのことを言っています。
悟りを得られたならば、教本などにこだわらなくてよいというのです。

例えばサービス業などにおいては、お客様を接客するためのマニュアルというものがあります。
そのマニュアルを学ぶことは、お客様を快くおもてなしするという目的のためのひとつの手段であり、
それらを身に付けたなら、、マニュアルは必要なくなります。
しかし、私たちはとかくマニュアル通りでないといけないと勘違いし、時にはそのことにこだわるがためにお客様に不愉快な思いをさせるということもよくあるのではないでしょうか。
それでは本末転倒ですね。
そんな戒めを教えてくれる禅語です。

雪割りそう


                      
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【2008/03/05 15:36 】 | 禅語 | コメント(2) | トラックバック(0) |
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 
(しんむけーげ むけーげこ むうくふ )

「無罣礙」とはひっかかったり、つまずいたりするようなことがないということです。
つまり、心に何もわだかまりがなく、何のこだわりも持たなければ
何も心配するようなこともなく、恐れるものもないのですよ、という意味で
「般若心経」の教えの一節です。

「般若心経」は「こだわらなくていいのですよ」ということを教えています。
私たちの心の「苦」はすべてその「こだわり」から生まれているというわけです。

たとえば
「気にしない、気にしない…」とか
「ま、いいか」
と、口に出しながら何かに心をとらわれないように気を大きくもって、のんびりといく。
そんなことも気持ちを明るく、穏やかに生きていく方法のひとつです。
「般若心経」は本来は偉大な仏教の教えなのですが、凡人の私たちはあまり気構えず
もっと気楽にやさしく向き合ったらいいのではないかと思います。

                    akakabu


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【2008/02/06 14:29 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
菜根滋味多し
菜根滋味多し (さいこんじみおおし)

人の捨てるような菜根にも滋養がありおいしいものだよ、と貧窮を楽しむ境地の尊さを教えている禅語です。

道元禅師は仏道を学ぶ人は貧しくなくてはならない、とかくお金があると心を惑わされ修行に差し支えるから、といっています。

また、「ひとつのことにむさぼり執着すること」「自分の心とは違うことを嫌がったり憎んだりすること」「ものの道理がわからず愚痴をこぼすこと」の三つが悪行の根本であり、これらをなくすことが最上の修行であるとし、
人はおいしいものには執着をもち、まずいものは嫌がり、そのどちらでもなければもっとおいしいものを食べたいと思うもので、食事の場こそその三悪をなくすもっともよい修行の場だとしています。

貧しさに耐えるのではなく、貧しくとも心豊かに生きる、というおおらかで物事に執着しない生き方を学びたいものです。

                       水仙



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【2008/01/23 00:00 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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