スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 |
悟無好悪
悟無好悪(さとればこうおなし)

迷生寂乱悟無好悪(迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪無し)と続きます。
迷いの中にいるから安らぎと乱れとにふりまわされるのであって、悟ってみればそこには良いも悪いもないのだということです。

あるがままを認められるようになったら、好き嫌いなどなくなります。
私たちは、そのものを充分にわかっていなのに、好き嫌いを決め付けていないでしょうか。
よく知りもしないのに、人のうわさだけでその人を毛嫌いしたり、立派な人だと思い込んだり…。
自分が実際に付き合ってみたら「なあんだ」ということもありますよね。
食べ物にしてもそうです。仕事もそう。
自分の目と耳と心で、ちゃんと確かめてみましょう。
そうすれば迷うことなどないのだということを教えてくれる禅語です。
スポンサーサイト
【2006/11/29 23:04 】 | 禅語 | コメント(4) | トラックバック(0) |
廓然無聖
廓然無聖(かくねんむしょう)

廓然とは雲ひとつない秋晴れのような空のこと、
聖とは宗教的に価値のあることを指します。
心が澄み渡って何も無いこと。
欲も不平不満も、自分の心を悩ますことは何も無い状態。
悟りを拓いて何かを得ようとする心さえ無い状態が仏教の教えの根本だそうです。
自分を責めることも、人を責めることもやめにしましょう。
良い人間になろうと何かを求めることもいらないのです。
ありのままを受け止め何もいらない…それが大事なんだよと教えてくれている禅語です。
【2006/11/29 22:33 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
山深く何か庵を結ぶべき心の中に身は隠れけり
山深く何か庵を結ぶべき心の中に身は隠れけり
(やまふかくなにかいおりをむすぶべき こころのなかにみはかくれけり)

考え方によって運が開けるという事を例をあげて説明された新渡戸稲造の和歌です。
一切を捨てるといえば、浮世を捨てて隠遁し山の奥にでも入ってしまうように聞こえるがそうではない。
すなわち心の中に身を隠し、いつでも捨てるべき場合には皆捨てるという心さえあれば、
何をしても悪い結果にはならず福となるのだ、ということです。
【2006/11/29 22:31 】 | 歌・俳句・詩 | コメント(0) | トラックバック(0) |
不昧因果
不昧因果(ふまいいんが)

不昧因果とは「因果を昧(くらま)さない、因果をごまかさない」という意味の禅語で
過去の行いが今の結果になっているのだよ、ということを受け入れて生きることです。
過去の結果に右往左往してみても、何も得るものはありません。
後悔先に立たずです。
それよりもしっかりとその因果を受け止め、前を向いて進むことが大事だよと教えてくれています。

この「不昧因果」に対して「不落因果」という言葉があります。
こちらは因果を否定する考え方です。
つまり、自分の今置かれている状況が過去の行いの結果だということを受け入れられないというものです。
簡単に言えば、「自分のせいじゃないよ!」というまったく身勝手な心遣いで、
そのような心遣いの者はやがて三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に落ちますよ、と教えているのです。

「過去の行い」というのは、決して自分ひとりの行いに留まらず、親祖先の行いも因果となって表れます。
そして、自分の今の行いもやがては子孫に影響を及ぼすのだということも知らなければなりません。
奥の深い禅語です。


【2006/11/29 22:28 】 | 禅語 | コメント(2) | トラックバック(0) |
太平洋の橋になりたいと思います
太平洋の橋になりたいと思います

五千円札の顔にもなった新渡戸稲造の言葉です。
新渡戸稲造は札幌農学校を卒業後、
農商務省開拓使御用掛、札幌農学校予科教授を勤めましたが
明治16年にある思いがあって、東京大学を受験します。
その時の入学試験の面接官とのやりとりの中で
「あなたは英文をやって何します?」
という質問に対して答えた言葉がこの言葉
「太平洋の橋になりたいと思います。」
でした。
予期に反した応えが返ってきてあきれた様子の面接官が
「何のことですか?」
とさらに聞くと、稲造はこう答えました。
「私は日本の思想を外国に伝え、外国の思想を日本に普及する媒酌になりたいのです。」
果たして稲造はその言葉通りの生涯を歩み、
国際的ベストセラーといわれる「武士道」を著したのでした。
明治の時代には国を思い、世界を見つめて生きた人がたくさんいたのですね。
【2006/11/29 22:25 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
鰻似蛇、蚕似芋虫
鰻似蛇、蚕似芋虫
(うなぎはへびにに、かいこはいもむしににたり)

人間は無意識のうちにも利益につられて行動しているということです。
人は鰻を食べ、蚕を育てますが
蛇を見れば逃げ出し、芋虫を毛嫌いしますね。
鰻と蛇、蚕と芋虫。
どちらもよく似ているのに、どうしてこうも人間の示す反応は違うのでしょう。
鰻は食べれば美味しいし、蚕は飼えば絹を生み出しお金になります。
つまり自分の得になるのなら、恐ろしさなど消えてしまうということです。

鰻や蚕だけでなく、こういったことは他にもいろいろあるのではないでしょうか。
欲得にかられて価値判断を謝らないようにしたいものです。
「韓非子」の中の言葉です。
【2006/11/29 22:21 】 | 格言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
八正道
八正道(はっしょうどう)

お釈迦様は、人が本当に幸せに生きるためには、八つの大切なことがあるといわれました。
それぞれ正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定という考え方です。
この八つをあわせて八正道といいます。
八正道はお釈迦様が示された誰にでも実践できる涅槃に至る道です。

正見(しょうけん)とはわかりやすく言えば、正しく見て、聞いて、考えるという意味で
正思惟とはそういうことのできる心のこと。
正語とは誰かが悩んだり、悲しくなったり、苦しむような言葉を使わず正しく話すこと。
正業とは正しい心から生まれる行い、行動のことで、正しくない心から生まれる行動は「悪業」と言います。
正命(せいみょう)の「命」とは、「生き方」のことで、素直で正しいこころを持って生きることを言います。
正精進とは一生懸命に何かをする、努力すること。それを続けていくことです。
正念(しょうねん)とは心が健康であること。
正定(しょうじょう)の「定」は、心が落ち着いているという意味で、反対にあれこれと心が迷っていることを散心(さんしん)と言います。

この八正道は誰にでも実践できる道ですが、決して易しい道ではありません。
やるかやらないかは本人の気持ち次第、ここが肝心なところです。
そしてそれを継続して行う、そこに意味があります。
まずは難しく考えずに、自分のできるところからはじめましょう。
子供だってできることなのですから。
元気なときも、そうでない時も私達に勇気をくれる大切な教えです。
【2006/11/29 22:17 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
眼横鼻直
眼横鼻直
(がんのうびちょく)

目は横に二つ並んでいて、鼻は真っ直ぐついている。
これは当たり前のことで、何でそうなっているのかと考えるにはおよびません。
もちろん、それにはそれなりの意味があるのでしょうが、
日々生活していく上で、当たり前のことを当たり前として受け止めていればいいわけで、
へんになぜだろうとあれこれ考えあぐねるのは無駄なことですね。

何がどうなっているかを考えるのは初級。
どうしてそうなっているかを考えるのは中級。
そうであることを工夫しながら活かすのは上級。
そうであることさえ忘れて生き生きしているのが特級といわれます。
せめて、あたり前のことが今日もきちんとあるんだなと感謝して日々を生きましょうという教えです。

【2006/11/29 22:15 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
平常心是道
平常心是道(びょうじょうしんぜどう)

「平常心」とは普段のとおり、格別の構えた思いも無ければ、気負いもなく、
淡々とした心境であるという意味で用いられることが多いのですが、
この場合の「平常心」とは、宋代の禅匠、趙州和尚と師の南泉普願禅師の
問答に由来します。

趙州問う「如何なるか是道」 
南泉曰く「平常心是道」

道を極めるということは決して特別なことをやって、
何かを修得するというのではありません。
日々の生活…起きて歩いて座って寝て、
という当たり前のことを繰り返していくこと、
当たり前のことを大切に育む日々が平常心となり、
ひとつの道を極めるということにつながります。

つまり、そうならなくてはいけないと思って、あがいている心、
落ち着かないといけない、見栄を張ってはいけない、素直にならないといけない、
こんないろいろな何々しなければいけないといって悩んでいる心、
そういう心も含めたあるがままの己の心が即ち「平常心」であり
あるがままを受け入れる中に真実があるのだ教えています。
悟りの真髄は決して遠く離れたところではなく、一番身近な己の心の中にあるのだということです。
【2006/11/29 22:13 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
鷦鷯巣於深林、不過一枝
鷦鷯巣於深林、不過一枝
(しょうりょうしんりんにすくうも、いっしにすぎず)

「偃鼠(えんそ)河に飲むも、満腹に過ぎず」と続く。
鷦鷯(しょうりょう)とはミソサザイ、偃鼠(えんそ)とはカワウソのこと。
ミソサザイは深い林の中に巣を作るが、必要なのはたった一枝だけ。
カワウソは黄河の水を飲むけれども、腹いっぱいになるだけあればそれで十分、という意味。

人は誰でも、より大きな利益を得ようとその欲望に際限がありませんが、
人間ひとりに必要なものはたかが知れています。
自分が生きていくに必要な分だけあれば十分、それ以上のものは余分に過ぎない、
つまり不要であることを知りなさいと教える荘子の言葉です。
【2006/11/29 22:11 】 | 格言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
風疎竹に来る 風過ぎて竹に声を留めず
風疎竹に来る 風過ぎて竹に声を留めず
(かぜそちくにきたる かぜすぎてたけにこえをとどめず)

風がまばらな竹林に吹くと、竹の葉がさやさやと音をたてますね。
しかし、その風が過ぎてしまえば、竹林は何事もなかったかのように静まり返ります。
つまり、徳の高い人は何事か起きたときには心が動くけれど
そのときが終われば、何事もなかったかのようにその心も穏やかに静まり帰るものである。
物事にいつまでもこだわって、心をむなしくするのはおよしなさいという禅の教えです。
【2006/11/29 22:10 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
世の中には幸も不幸もない。
ただ、考え方でどうにもなるのだ。

シェークスピアの言葉です。
本当にその通り、簡単明瞭な言葉です。
しかし、大変重みのある言葉でもあります。

世の中の「幸」「不幸」は誰が決めるのでしょう。
もともと「幸」も「不幸」も無いのです。
私たち一人一人の心が勝手に「幸」「不幸」と決めているだけですね。
だから、同じ出来事に遭遇しても嬉しいと思う人、なんとも思わない人、いやだなあと思う人、様々なのです。
そのことをよく理解することが大切です。

世の中の「幸」「不幸」は考え方でどうにでもなると、シェークスピアは言っています。
それならば、しあわせ♪と思うことを増やした方がいいに決まっていますね。
そしておそらく多くの人々はそのことをわかってはいるのです。
でも、実際にはそうできない…。
幸せ探しが下手なのですね。
つまり不満をいだくことが多すぎるというわけです。
日々の生活の中で、幸せ探しが上手くなる素地を作っていく努力が必要なのです。

【2006/11/29 22:08 】 | 格言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
老松披五雲
老松披五雲
(ろうしょうごうんにひらく)

めでたさの象徴である老松に「めでたいことが起こる兆し」と呼ばれる五色の美しい雲(五雲)がかかっている様子。
いやがうえでもめでたい様子をあらわしている言葉。
「五雲」とは太陽の近くにある雲の縁などが五色に輝いてみえるとても美しい雲。
よいことが起こる前兆として、古くから慶雲、瑞雲、景雲、五色の雲、五雲などと呼ばれています。

【2006/11/29 22:05 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
駟不及舌
駟不及舌(しもしたにおよばず)

「駟(し)」とは四頭立ての馬車のことです。
一旦口に出したことは、四頭立ての馬車で追いかけても取り消すことはできない。
失言にはくれぐれも注意しなさいという、孔子の弟子の子貢の言葉です。
言葉のもつ影響力の大きさをよく知らなければとんでもないことにもなりかねない
という戒めの言葉ですね。
【2006/11/29 22:04 】 | 論語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
一寸座れば 一寸の仏
一寸座れば 一寸の仏
(いっすんすわれば いっすんのほとけ)

一寸とは線香が一寸(3㎝)燃える間のこと。
ほんの少しの間でも、座禅すればつかの間の仏心が宿るということです。
座禅を長くすればするほどよいとういものでもなく、
また、わずかしか座禅をしないからだめだというものでもありません。
たとえ一度でも、わずかでも「座禅をしよう」と思う心が尊いのだという
凡人に心優しい禅の教えです。
【2006/11/29 22:01 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
非思量
非思量(ひしりょう)

何も考えない、心を「無」にするという意味の、道元禅師のことばです。
心が不安定なとき、つまらないことで思い悩むとき。
不安や怒りで心が穏やかでないとき、
そんな時には、まず心を「無」にすること。
そうすることで心を「リセット」するのです。
それを「非思量」といいます。

「非思量」となるには、まず身なりを整え、まっすぐに座り、
そして静かに息を整える。
そうすれば自然と「心」が整ってきます。
難しく考えなくても、いつでもどこででもできることですね。

【2006/11/29 22:00 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
豊かな心
同じ物を見ても喜ぶ人喜ばない人、
かえって不満を抱く人もある。
われわれは喜びを感じる人でありたい。


松下幸之助さんの言葉です。
物事の受け止め方感じ方は、人それぞれです。
それはその人の性格はもとより、
生い立ちや、環境、立場等様々な要素が影響されます。
まず、そのことを理解することが大切でしょう。
そして、自分はより多くのことに喜びを感じる人でありたいと思う。
多くのことに喜びを感じる、そして感謝の念をいだくことが出来る人、
そういう人が心豊かな人であるというのです。
心豊かな人間であるということが、仕事をしていく上でも
とても大切なことなのだと教えてくれています。
【2006/11/29 21:59 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
松菊多寿色
松菊多寿色(しょうぎくことぶきのいろおおし)
             
「松菊」とは、昔、陶淵明(とうえんめい→中国、南北朝時代の東晋の人で、
田園の生活を好み田園詩人・自然詩人といわれ、また隠逸詩人ともいわれた中国史上に特異な立場を占めるとともに高い評価を受けている人)
などが庭に松・菊・竹などを植え、その中に隠遁(いんとん)したというところから、
隠者の庵の意に用いられている。
つまり、いつか俗世間から離れて隠遁生活を送ることが
古今変わらぬ人の願いであり、寿ぐ喜びが多くあるのですよ、ということ。
【2006/11/29 21:58 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
関 南北東西活路通
関 南北東西活路通
(かん なんぼくとうざいかつろつうず)        

大燈国師(大徳寺を開山した鎌倉時代の禅僧)の言葉。
そこさえ通過できれば、あとは東西南北どこへでも自由に道が続いているという言葉。
「関」とは悟りへ続く関所のこと、「活路」とは生きられる道、助かる道の意で、
煩悩から解き放たれた瞬間、東西南北に道がパァッとひらけるような、
本物の自由が待っているということ。
【2006/11/29 21:57 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
謙尊而光
謙尊而光(けんをたっとくしてひかる)

私の力でこのような功績を挙げたのだ…
などというようなことは決して言わない。
常に「おかげさまで…」という気持ちを持っている。
そのような人を「謙」といい、
そういう心を尊んでいる人は光輝いてくるのである、
という易経の中の言葉です。
【2006/11/29 21:56 】 | 易経 | コメント(0) | トラックバック(0) |
人を相手にせず…
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己れを尽くし、
人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。


人を相手にしないで、天を相手にしなさい。
そして自分の誠をつくしなさい。
人がどうのこうのではなく、
すべて自分が誠を尽くしているかどうかを問い
天に恥じない生き方をしなさい、という西郷隆盛の言葉です。
【2006/11/29 21:54 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
成功法
“今日は良く働いたなあ”と自分をほめ、
満足感を味わえる毎日を積み重ねるなら
成功しないはずがない。


経営の神様、松下幸之助さんの言葉です。
なんだかうれしくなるような言葉です。
決して毎日が満足できるものばかりではありませんが
なんだか自分にもできそうな気になります。
そう、頑張ってみよう!
そう思える言葉だな、と思うのです。

【2006/11/29 21:53 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
閑不徹
閑不徹(かんふてつ)

「雲在嶺頭閑不徹(雲はれいとうにあって閑不徹)」の最後の三語。
雲はゆったりと峰の頂に浮かんで動くとも動かない様子。
まったくいよいよ暇だということ。
空を見上げれば、のどかな雲が無心に浮かび、
目を移して谷川を見れば、水の流れはサラサラと忙しそうだけれども、
これも無心である。
忙しいときがあり、また暇なときがある。
とかく人間は暇があるとろくなことを考えないとされているが、
やはり悠悠自適して、恵まれた一日のゆとりをのんびりと楽しむ無心さがほしいものである。
人が忙しそうにしていると、私も何かしなくては、
とあせったりするようではいけない。
人間は、また、忙しいときには、谷川の水の流れのように、
ひとときも休みなく働かなければならないときもある。
しかし、その境地は、動かぬ雲のように無心にすごす時間の中に
いなければならないと教える禅語。
【2006/11/29 21:52 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
山是山水是水
山是山水是水(やまはこれやまなり みずはこれみずなり)

山はこれまさしく山である。
つまり、山には山の個性があり、同様に水には水の個性がある。
その2つの個性がうまく調和し、自然を形成しているということ。
山が川になり、川が山になることはないのと同じように、
自分もまた人を羨んでみたところでその人になるはずがなく、
自分は自分、相手は相手そのままの存在を認めってこそ円満でいられるのだよという禅語。
【2006/11/29 21:39 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
青松眠白鶴
青松眠白鶴(せいしょうはくつるねむる)

心が清く正しい人は、
あたかも純白の鶴が高くそびえる松の木にとどまるように、
世俗の汚れを離れていつまでも心中穏やかに、
悠然としているものですよ、という言葉。


※しばらくお盆休みをいただいていました。
といっても14,15日と実家へ帰っただけで
あとはお盆休暇で欠勤者が多いため、仕事が忙しく
ブログは毎日のぞいてみるものの、
疲れてしまってやむをえずお休みを続けていました。
やっときょう、本来の生活ペースにもどりました。
また引き続きよろしくお願いします。
【2006/11/29 21:38 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
君子之交淡若水
君子之交淡若水
(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)

「小人の交わりは甘きこと醴(れい)のごとし」とつづく。
君子の付き合いは水のように淡々としているが、
小人の付き合いは甘酒のようにべたべたしている、という意味です。

淡々とした付き合いは一見さめたように思われがちですが、
必要以上に相手に口出しをしない、相手を尊重した付き合いです。
そういう付き合いは飽きがこないので長続きします。
べたべたした付き合いは、一見仲良しでよい気がするのですが、
はじめのうちはよくても次第にうっとうしくなったり、
深入りしすぎて相手を不快にさせたりし、長続きしませんよ、
という荘子の教えです。


【2006/11/29 21:37 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
百不知百不会
百不知百不会(ひゃくふち ひゃくふえ)

何も知らない。
何もわかっていない。
それでいいんだよ、という禅語です。

少しくらい何かを知っていたとしても、
その知恵の生かし方を知らなければ知らないのと同じ。
少しくらい何かの経験があって、わかったつもりでいても
それでうまくいくとはかぎらない。
そういったことなど関係なく、うまくいくことは
世の中いっぱいありますね。

知らないことには素直に学び、
わからないことは経験を積めばよい。
ただそれだけのこと。
つまり、そういったことにとらわれないことが大事ですよということですね。
【2006/11/29 21:15 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
不積き歩、無以至千里
不積き歩、無以至千里
(きほをつまずば、もって千里にいたるなし)

「き」は漢字が出ませんでしたが、傾くという字の人辺が足になります。
「ひとあし」とも読む字です。
片方の足を前に踏み出すのを「き」といい、
さらにもう一方も踏み出すのが「歩」です。
千里の道を歩き通すには何万歩になるかはわからないけれど、
一歩一歩積み重ねていくこと。
それしかありませんね。
どんなに小さな成果しかあがらなくても、
休むことなく続けていれば、やがては大きな成果を生み出す
ということを教えてくれる荀子の言葉です。
【2006/11/29 21:12 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
拈華微笑
拈華微笑(ねんげみしょう)

拈華とは花を手でつまむこと。
花を手でつまみ、微笑む。
そしてその花を相手に静かに差し出す。
それだけで伝わる「何か」があります。
本当に伝えたい大切なことは、
言葉でなくそんな無言の中で伝えられるものだと
いうこを教えてくれる禅語です。
【2006/11/29 21:11 】 | 禅語 | コメント(0) | トラックバック(0) |
会社の社員であっても…
会社の社員であっても、
”自分は社員稼業という独立経営体の主人公である”
という信念に立とう。

松下幸之助さんの言葉です。
上からの指示通りに動いていればよい、とか
決められた組織の中ではみ出さないようにそつなくこなせればよい…
というような考えではなく、
主体性をもって、自分を生かしながら会社を生かす、といったような
仕事に対して熱意のある生き方をしなさい、ということでしょう。
「社員稼業」とは松下幸之助さんらしい言葉ですね。
【2006/11/29 21:10 】 | 名言 | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ホーム | 次ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。